大学入試と社会人の基礎体力

大学入試改革が改めて話題になっている。自身の大学受験から数十年経ち、社会人としてもそこそこオッサンになって感じるのは、日本の大学入試が意外に有能なフィルターとして機能していることだ。所謂大手企業は依然ブランド志向で、東大•京大をはじめとするトップ校の学生を優先的に採ってるように思えるが、ひとつにこのフィルターとしての入試システムへの信頼性があるのではないかと思う。東大と京大の二次試験を比べて見ると分かるが、前者がある意味すごく普通の問題に非常に高いレベルで回答することを求めるのに対し、後者は奇問難問を少しでも解くことを要求する。結果として東大はオールラウンドに優秀な人材の大量生産に成功しており、京大は研究者的スペシャリスト養成に成功している。たぶん。翻って、社会人というかサラリーマンとしては、東大出身者は何やらせても器用で集団への適応性も高く、京大出身者は一芸に秀でていても集団にどこか馴染まなかったりする。全てが全てそうというわけではないし、入社試験という社会人としての基礎的な素養を試す試験をパスした人材の中で、自分が知る範囲のサンプルを元にした個人的意見に過ぎないが、昔から企業が大学の専門教育をあまり信用しない一方で大学のブランドに拘るのは、こうした大学入試というフィルターへの信用があるんじゃないだろうか。逆に言えば、入試改革なんてされた日には、企業側も採用戦略を根本的に見直さねばならなくなり、えらい影響があるはずである。教育は効果を判定できるまで十年以上を要するから、労働者足りねえ!うへえ!ってなる頃に、今年何とか確保した人材何かおかしくね?ってなる気がする。