同調圧力

10年ぶりくらいに飲み屋、所謂おねーちゃんのいる店に行った。ああいう店に行くと、何と言うか、無理にテンションを上げる必要があって疲れる。本質的に標準状態がローテンションな人間にとっては、普段の社会生活ですらテンションを上げて生きているから、+2くらいにすると、メモリどころか物理ディスクも足りなくなって、異音を上げて異常終了しそうな勢い。ぶっちゃけ、オフでは癒しを求めてるんだから、ああいう場所でこそプロセスをいくつか落として負荷を下げたいのに逆である。一方、同行した同僚を見ると絶好調。勿論、彼らも上げ目なんだろうけど、そもそもキャパが違うから負荷のかかり方がまるで違う。グレードの高い機種は違う、とか思いつつ、ついローテンション気味にして負荷の調整を図ってると、横からおねーちゃんがやたらと話し掛けてくる。気を使うのが彼女らの仕事だから当然だし、でもこっちは気を使われてることに気を使っちゃって、気遣いの負の連鎖で異常終了しちゃう、とか思っててふと気付いた。リッチな環境に慣れた彼女らからすれば、負荷なと気にせず客のテンションを上げることが重要であり、プアな環境のリソース管理なんて考えもしないんだろなと。つまり、彼女らにすればキャパ以上にパフォーマンスを上げられるよう、客のテンションを最大限上げることがタスクであり、負荷低減だの負荷分散だの、明日以降の運用への影響への考慮とかはタスクではないのである。こういう押し付けも又同調圧力だよなあとか思う一方、そもそもプアな環境なのが問題なんだと気付いて、今さらインフラを入れ換えられないプロジェクトみたいな気持ちになったりしたのでした。

大学入試と社会人の基礎体力

大学入試改革が改めて話題になっている。自身の大学受験から数十年経ち、社会人としてもそこそこオッサンになって感じるのは、日本の大学入試が意外に有能なフィルターとして機能していることだ。所謂大手企業は依然ブランド志向で、東大•京大をはじめとするトップ校の学生を優先的に採ってるように思えるが、ひとつにこのフィルターとしての入試システムへの信頼性があるのではないかと思う。東大と京大の二次試験を比べて見ると分かるが、前者がある意味すごく普通の問題に非常に高いレベルで回答することを求めるのに対し、後者は奇問難問を少しでも解くことを要求する。結果として東大はオールラウンドに優秀な人材の大量生産に成功しており、京大は研究者的スペシャリスト養成に成功している。たぶん。翻って、社会人というかサラリーマンとしては、東大出身者は何やらせても器用で集団への適応性も高く、京大出身者は一芸に秀でていても集団にどこか馴染まなかったりする。全てが全てそうというわけではないし、入社試験という社会人としての基礎的な素養を試す試験をパスした人材の中で、自分が知る範囲のサンプルを元にした個人的意見に過ぎないが、昔から企業が大学の専門教育をあまり信用しない一方で大学のブランドに拘るのは、こうした大学入試というフィルターへの信用があるんじゃないだろうか。逆に言えば、入試改革なんてされた日には、企業側も採用戦略を根本的に見直さねばならなくなり、えらい影響があるはずである。教育は効果を判定できるまで十年以上を要するから、労働者足りねえ!うへえ!ってなる頃に、今年何とか確保した人材何かおかしくね?ってなる気がする。

Fancy Funny Hasty Generalization

ビジネスは、まず知ってるか知ってないかのレベルで大きく差が出る。次に差が出るのはどの程度「深く」知っているか、だ。知識レベルだけで言えば、普段からどれだけdeep searchしているかが勝負の分かれ目になる。
例えば、犬がウンコを食うということを知ったとして、「世の中の犬のどれくらいがウンコを食うのか」を調べてみるか否か。そんな統計情報は世の中に恐らくないが、ブログを検索してみれば結構な数の犬がウンコを食うという事実に行き当たるだろう。ついでに、「食糞」という専門用語にも行き当たるだろう。獣医のサイトで問題点と解決策を見つけることもできるはずだ。
その上で誰かが「うちのワンちゃんはウンコを食べるんだよ」と言ったときに、その知識を総動員してどういう話に纏めるか。裏付けをもって食糞の一般性を論じるのか、食糞の防止策を論じるのかは話者のテイスト次第だ。
ここで、食糞という行為を知らなかった場合、「へえー、変わってますねえ」などと人間の常識に照らして反応してしまうだろう。やがてこれが、「もしかして、世の中に一匹だけかもしれませんよ?すごいですねえ!」などと誤った評価になり、「ひょっとしたら大発見じゃないですか!」などと独りよがりの興奮の坩堝へと推移していく。世の中にウンコを食う犬なんていくらでもいるのに関わらず、だ。
まあ、これが多くのビシネスの現場で起きている大失敗の第一歩だ。返す返すも無知は罪だと。

Facebookはやはり人間関係の仮想化なんだなと

たいそうなタイトルだが大した話じゃない。
最近Facebookで高校時代の友人と「再会」した。曰く、高校の同窓グループがFacebook上にある、君も加えていいかと。断る理由もなくグループ入りし、時折眺めているが、驚くほど当時と変わっていない。いい加減年齢考えろよ?と言いたくなるくらいx十年前と同じなのだ。ほとんどの同窓生が地元にいることもあるが、掛け合いそのものというか、キャラクターというか、そういうもの自体が驚くほど昔のままなのだ。
これを同窓生ならではと好ましく思う人の方が多いだろうが、所謂スクールヒエラルキーもそのままだから、ヒエラルキー下位の人間からすれば、折角「再会」した友人とも親交を温められず、ただ呆然とするほかない。やあ!と飛び込んだ時のお前誰?的空気にウェブ上でも耐えられないのだ。だから、折角の最新近代的ツールを前にしても、当時と同じく談笑し合う同級生たちを遠目に眺めるしか術がない。月日が経ち、時間と空間を超越することができるようになった今でも、自分の時間はあの頃のまま止まっている。
まあ、手短に言えば、いくら世の中が進化したって、自分の黒歴史は消しようがないってことだけど。

技術屋とビジネス屋

世の中、専門的になればなるほどカバー範囲は狭くならざるを得ず、その端的な例が技術屋だ。一芸に秀でるために他のものを犠牲にしていると言ってもいい。リミッター解除したYF-21みたいなものだ。普通考えれば分かるが、ITという分野があるわけじゃない。プログラミングと言っても組み込みとWEBアプリケーションはまったく違うし、アナログと言ったって電波と電源は全然違う。
ただ、ある程度の技術レベルに達した人であればsimilarityを以て他の技術を語ることは可能で、例えばマルチコアプロセッサのわかる人ならサーバー仮想化のことは予測レベルでほとんどわかる、たぶん。また、similarityじゃなくてもWEBアプリケーションを極めた人ならサーバーのチューニングとかネットワークのルーティングまで考えてる、恐らく。だから、プロの技術屋は専門バカではないと理解している。
さて、一方で、ビジネス屋の人たちは、ITという分野があると思っている。一応業界の人であっても、だ。流石にそこまで大雑把でなくとも、組み込みとWEBアプリの違いがわからない人なんてザラだ。そういう人は、例えば組み込みの人にWEBアプリのことを聞いたりする。技術屋は誠実だから、持てる知識と予測推測で答えたり、逆に答えに窮したり、多くの場合は不機嫌になったりする。それに対しビジネス屋は、技術屋が何でも分かると思ったり、使えないと評価したり、面倒な相手だとウンザリしたりする。
この双方のギャップを埋めつつプロマネするのが西海岸ベイエリアのproduct marketingで、ビジネスモデルにまで仕立てられるのがentrepreneurだったりするが、やはり基本的に技術屋側の人間じゃないと難しい。そんなわけで西海岸にもあまりいないんだが、上述のようにビジネス屋の不当な評価により技術屋が虐げられてる日本ではこの先も望み薄なんだろな。

商社マンというお仕事

最近しみじみ思うが、商社マンという仕事を真面目にやると、通常の人間であれば肉体か精神のどちらか、或いはその双方に破綻を来す。
じゃあ何で世の商社マンの人たちがやっていけてるのかと言うと、彼らが特別だとかタフだとかいうわけではなく、真面目にやってないからである。
そもそも、何で真面目にやると破綻するかと言うと、商社マンという仕事に求められるのが本質的には「全部乗せ」、企画・営業・法務・経理・財務(時には人事も)全てである(加えてその一つ一つに優れたヒューマン・インタフェースが求められる)一方、現実にはそんなことできないという理想と現実のギャップに苦しむからだ。
その解決策として、稀に現実を理想に近づけることでギャップを埋める人もいるが、多くの場合は理想を現実に合わせて調整することで妥協する。加えて、現実に虚構の装飾を加えることで「ふりをする」。
「ふりをする」対象は何かと言えば、勿論自分を評価する相手であり、顧客やパートナーであったり合コン相手だったりするが、まあ、ぶっちゃけ社内の評価ラインに沿ってればサラリーマン的には事足りる。
こういうことに気付いて「要領よく」ギャップを埋めるのが有能な商社マンで、ギャップを埋めようともがくのが若さで、なす術もなく立ち尽くすのが俺なんだろな。

人気ラーメン店経営の為のMBAベスト・プラクティス

とか何とか、誰かラーメン屋経営をテーマにしたビジネス本書いてくれないかな。
商品開発や店舗確保はマーケティングのいい題材だし、品質を維持しつつマージンを確保する為のSCMも考えないといけない。実際の店舗運営における客の捌き方、麺茹での順番なんてオペレーションの塊だよね。券売機導入の初期投資に対し、削減される従業員コストも含めたリターンの計算なんてファイナンスの問題になるよね。買っちゃうのがいいのか、リースがいいのかとか考え出したら止まらない。一店舗だけじゃなくチェーン展開する際のフランチャイズ経営方法とか、マーケティング面からどうすればよいか、連結経営の観点からどうすべきか、納税面ではどうか、とか話はいくらでも広がるな。
まあ、そんなこと考えながらラーメン屋で並んでると軽く一時間は余裕で待てるんだけど、MBAベスト・プラクティスを用いても決してうまくいかないであろう、というのが隠れた真の狙いだったりする。