Facebookはやはり人間関係の仮想化なんだなと

たいそうなタイトルだが大した話じゃない。
最近Facebookで高校時代の友人と「再会」した。曰く、高校の同窓グループがFacebook上にある、君も加えていいかと。断る理由もなくグループ入りし、時折眺めているが、驚くほど当時と変わっていない。いい加減年齢考えろよ?と言いたくなるくらいx十年前と同じなのだ。ほとんどの同窓生が地元にいることもあるが、掛け合いそのものというか、キャラクターというか、そういうもの自体が驚くほど昔のままなのだ。
これを同窓生ならではと好ましく思う人の方が多いだろうが、所謂スクールヒエラルキーもそのままだから、ヒエラルキー下位の人間からすれば、折角「再会」した友人とも親交を温められず、ただ呆然とするほかない。やあ!と飛び込んだ時のお前誰?的空気にウェブ上でも耐えられないのだ。だから、折角の最新近代的ツールを前にしても、当時と同じく談笑し合う同級生たちを遠目に眺めるしか術がない。月日が経ち、時間と空間を超越することができるようになった今でも、自分の時間はあの頃のまま止まっている。
まあ、手短に言えば、いくら世の中が進化したって、自分の黒歴史は消しようがないってことだけど。